心 (五臓)
心(しん)は、伝統中国医学における五臓のひとつである。現代医学の心臓を含む循環器系全体の働きと脳の機能の一部を心の機能として捉えているといえる[。 心は五行思想では「火」に属し、小腸・脈・顔面・舌などと心の系統を形成している。
心は意識と精神活動を受け持ち、五臓六腑を統率している。意識・精神活動を伝統中国医学では神(しん)と呼ぶ。心は精神活動の物質的基礎と考えている血をコントロールすることで、精神活動の基本となっている。これを素問の宣明五気論では、「心は神を蔵す」といい、霊枢の邪客篇では、「心は五臓六腑の大主にして、精神の存する所」という。
心は血脈循環を支配している。血は脈中を流れて全身を循環する。この血を包んで全身を周流させるものが脈である。心は血を循環させ脈の働きをつかさどる主要な臓器で、血脈に生ずる現象の多くは心と密接な関係にある。
心の状態は顔面および舌に表れる。心の活動の状態が最もはっきりと表面に現れるのが舌である。味覚や言語などの生理機能は、心の機能が基礎となっていると考えられている。心の活動の異常は、舌が赤く爛れたり、味覚が変になるなどの症状として現れるとする。
陰陽陰陽を表す太極図 陰陽(いんよう・おんよう・おんみょう、拼音: yīnyáng、英: yin - yang[1])とは、中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から陰(いん)と陽(よう)の二つのカテゴリに分類する思想。陰と陽とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる[2][3][4][5][6][7] 。 このような陰陽に基づいた思想や学説を陰陽思想、陰陽論、陰陽説などと言い、五行思想とともに陰陽五行説を構成した。 目次
概要陰陽五行思想 原初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となった。この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようというのが陰陽思想である。 受動的な性質、能動的な性質に分類する。具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。 重要な事は陰陽二元論が、この世のものを、善一元化のために善と悪に分ける善悪二元論とは異なると言う事である。陽は善ではなく、陰は悪ではない。陽は陰が、陰は陽があってはじめて一つの要素となりえる。あくまで森羅万象を構成する要素に過ぎない。戦国時代末期に五行思想と一体で扱われるようになり、陰陽五行説となった。 特徴陰陽互根 陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。 陰陽制約 提携律とも言い、陰陽が互いにバランスをとるよう作用する。陰虚すれば陽虚し、陽虚すれば陰虚する。陰実すれば陽実し、陽実すれば陰実する。 陰陽消長 拮抗律とも言い、リズム変化である。陰陽の量的な変化である。陰虚すれば陽実し、陽虚すれば陰実する。陰実すれば陽虚し、陽実すれば陰虚する。 陰陽転化 循環律とも言い、陰陽の質的な変化である。陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する。 陰陽可分 交錯律とも言い、陰陽それぞれの中に様々な段階の陰陽がある。陰中の陽、陰中の陰、陽中の陰、陽中の陽。 展開陰と陽とはもともと天候と関係する言葉であり、陰は曇りや日陰、陽は日差しや日向の意味として『詩経』などの古書に表れる。『春秋左氏伝』昭公元年に天の六気として陰・陽・風・雨・晦・明とあり、ここで陰陽は寒暑の要因と考えられ、また昭公四年には陰・陽・風・雨が季節を特徴づける気候の要因として扱われている。さらに『管子』幼官では明確に春の燥気・夏の陽気・秋の湿気・冬の陰気として寒暑の原因とされるとともに四季(四時)の気候が変化する要因として扱われている。これがやがて四時の気を統轄する上位概念となり、さらには万物の生成消滅と言った変化全般を司る概念、万物の性質を二元に分類する概念へと昇華されたと考えられる。 易経における陰陽「易経」も参照 八卦爻と太極 『易経』の卦は6本の爻と呼ばれる棒によって構成されている記号であるが、爻には「─」と「- -」の2種類あり、易伝によりそれぞれの属性は陽・陰に当てられ、陽爻と陰爻を3つ重ねた八卦、八卦を2つ重ねた六十四卦は森羅万象を表象すると考えられた。これにもとづき漢代では卦の象徴や爻の陰陽にもとづいて解釈する易学がなされた。また繋辞上伝には「太極→両儀→四象→八卦」という生成論が唱えられているが、両儀は天地あるいは陰陽、四象は四時、八卦は万物と解されている。 宋易(宋代に興った易学)では図書先天の学と呼ばれる図像を用いた象数易が行われたが、これらの易図では陽は白、陰は黒で描かれた。南宋の朱熹は先天図にもとづき「太極→両儀→四象→八卦」の両儀を明確に陰陽と位置づけ、さらに四象を爻を2つ重ねたものとして太陽(老陽)・少陰・少陽・太陰(老陰)と名づけた。 なおUnicodeにおいて陰陽を表す記号には陰陽魚の太極図(☯)が当てられており、そのコードはU+262f、☯である。また陽爻(⚊)はU+268A、⚊、陰爻(⚋)はU+268B、⚋である。 『霊宝畢法』における陰陽 初期の内丹経典として知られている『霊宝畢法』は内丹の修練法が書かれている。その前段階に陰陽の気についての記述がみられる。
まず、体内の気の変化を天地自然の陰陽の変化に順応させて、体内の気が交合する環境を整える。その際、人の身体と天地が相似関係にあると考えられている。たとえば、体内の心臓と腎臓は天と地に、体内の陽の気は「気」、陰の気は「液」と呼ぶ。「液」の名の由来は陽が陰に変化し、陰が陽に変化するさまを水が水蒸気に変化し、水蒸気が水に変化するさまに重ねたからだという。
天地自然の陰陽の変化として、一年の季節の変化がある。陰が極まって陽が萌す冬至、次第に陽が伸長していき極まった夏至、そこで陰が萌し、極まって冬至となる。このように自然の変化を陰陽の気の消長変化として捉え、それを人間の体内の「気」と「液」の変化と対応させている。
気が旺盛でないときは二度あり、一つは易の艮卦に象徴される立春、丑寅の刻で、もう一つは易の乾卦に象徴される立冬、戌亥の刻である。 二気を交わらせる段階では、午の刻に地にあたる腎から生じた「気」が上昇し、天にあたる心の「気」と融合することで陽が極まり、「液」が生じる。これが「真水」である。子の刻に心から生じた「液」が下降し、腎の「液」と融合して陰が極まって「気」が生じる。これが「真気」である。この二つが丹の材料となる二気とされている[8]。
三才の思想である。
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の対応関係にあるとする。経絡でも表裏の関係にあって、直接影響しあっている。心の活動に異常があると小腸の異常として症状が出たり、その逆の場合もあるとされる。