東アジア
国際連合によるアジア地域の分類[1]。東アジアは黄色で示された地域。
東アジア
東アジア(ひがしアジア)は、ユーラシア大陸の東部にあたるアジア地域の一部を指す地理学的な名称である。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台灣列島、琉球諸島、日本列島などを含む。北東アジア(東北アジア)、極東、東亜などと呼ぶ場合もある。
目次
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概要
東アジアの範囲 |
東アジアは太平洋に接するユーラシア大陸東岸に位置し、約1,176万平方キロメートルの面積を占める地域である。地理的な区分として北は天山山脈からモンゴル高原、アムール川(黒竜江)まで、南は雲貴高原の地域であり、東は日本列島や台湾、西はチベット高原やヒマラヤ山脈までを含む地域である。東アジアの東端は日本海、黄海、東シナ海、南シナ海を経て西太平洋に繋がっている。北にロシアのシベリア、南に東南アジアのインドシナ半島、西に中央アジアと南アジア、そして東に太平洋を経て北アメリカと隣接する地域である。
中緯度地帯に位置する広大な陸地でモンスーン(季節風)の影響が大きい特徴がある。西から東にかけて徐々に低い地形であり東西で環境が異なっている。西部の内陸では乾燥気候であるためにゴビ砂漠やタクラマカン砂漠があり、またクンルン山脈とヒマラヤ山脈に囲まれたチベット高原や天山山脈に並ぶモンゴル高原がある。東部の沿岸では南は亜熱帯気候で長江が流れ、北は温帯気候で黄河が流れており、それぞれの河川領域では平地が開けている。東アジア沿岸部を囲むように位置する日本列島や朝鮮半島は山岳地帯が多く沿岸部にわずかな平野が広がっている。
生活する民族には大和民族、漢民族、朝鮮民族などがあり、現在では日本や中国、韓国などの国家が成立している。温暖な気候と河川流域、モンスーンの影響によって農耕に適した豊かな米作農業地域であることと住める土地が大きい事、太平洋や東シナ海から水産物が豊富に採れる事から人口の規模も大きい。工業化が始まったのは19世紀からであるが、日本、中国、韓国に工業地帯が形成されており、他の地域との貿易取引も活発である。東アジアでは古来より儒教や仏教の思想が各地に広まっており、それに伴って漢字や建築様式などの文化において類似性が認められる。軍事情勢においては台湾海峡を挟んだ中華人民共和国と中華民国、朝鮮半島における北朝鮮と韓国の緊張がある。
地理
「アジアの地理」も参照
地図[
地形
東アジアの衛星写真(アメリカ航空宇宙局) |
東アジアの地形は概ね西高東低の地勢であり、それは二つの造山帯によって形成される内陸部の高原や盆地と、西太平洋の沿岸部に位置する平地、半島、島々に分けて説明することができる。まず内陸では新期造山帯と古期造山帯があり、新期造山帯によってパミール高原を起点としながらアルプス・ヒマラヤ造山帯に属するヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、クンルン山脈、チベット高原、雲貴高原が形成され、これは南アジアや東南アジアとの自然境界ともなっている。 さらに古期造山帯は西部から天山山脈、アルタイ山脈、モンゴル高原、大興安嶺山脈が古い山脈として形成されている。これはロシア地域との境界線の一部ともなっている。さらにクンルン山脈と天山山脈を南北に挟まれてタリム盆地、そしてタクラマカン砂漠があり、クンルン山脈の東北のふもとにはツァイダム盆地、モンゴル高原の南方にはゴビ砂漠がある。歴史的に知られるシルクロードはこの地域のオアシスや登山道を接続して開発された通商路である。
沿岸部の地体構造としては、中国陸塊と呼ばれる安定陸塊の上に卓状地が形成されている。そのため広大な平原が広がっており、海に流れ込む黄河、長江、珠江の流域または河口で平原が開けている。北から遼河流域の東北平原、黄河流域の華北平原、長江下流の平原が広がっている。 また陸地から離れて東シナ海、南シナ海は中国大陸の大陸棚となり、その大陸棚に沿って日本列島や台湾などが環太平洋造山帯上に列島を構成している。そこはプレートテクトニクスの観点からはユーラシアプレートと太平洋プレート・フィリピン海プレートの境界であり、比較的火山や地震の危険性が大きい特徴がある。
気候
東アジアの気候も地形的区分で示した内陸部と沿岸部で異なっている。山脈や高原で囲まれた内陸部は一般に乾燥しやすく、砂漠やステップが広がっている。一方で東の沿岸部では北緯20度から55度にわたってモンスーンの影響から夏の降雨量が増大する地域である。 特に中国大陸の秦嶺山脈・淮河以南、台湾、朝鮮半島南端、日本列島は亜熱帯気候であり、夏は高温多湿で冬は逆の条件となるような変化に激しい地域である。場所によっては梅雨、台風、降雪などの気象状況も発生する。ただし沿岸部であっても中国北部、朝鮮半島北端、北海道は大陸性の冷帯気候であり、年間の降雨量が少なく冬季の気温の低下が亜熱帯気候と比べて著しい。
歴史
詳細は「東アジア史」を参照
近代までの東アジア
古代のユーラシア各地では河川流域を中心に灌漑農業が発達し、東アジアでは黄河流域で中華文明が成立した。鉄製農具の開発や農法の改善、それに伴う社会の複雑化により前17世紀には殷王朝が成立することで国家が形成される。この頃に長江流域にも勢力が及ぶようになる。前4世紀から3世紀にかけての戦国時代では様々な思想家が活躍し、前3世紀で始皇帝の秦王朝により統合された。 紀元前1世紀までに漢王朝により再統一され、日本では弥生時代に入る。 3世紀から6世紀にかけて日本列島に大和王権が成立し、朝鮮半島に高句麗、新羅、百済、またモンゴルでも匈奴、柔然といった遊牧民族が盛んに活動した。 一方、中国大陸では晋による短期間の統一を除いて、400年近くに渡って国家の分裂が続いた(魏晋南北朝時代)。
6世紀ごろからモンゴル系やトルコ系の遊牧民族がモンゴル高原から中国大陸へと南下を繰り返すようになるが、7世紀の唐の時代になると唐はその勢力範囲を朝鮮半島から中央アジアのパミールにまで伸ばした。8世紀から9世紀になると日本では律令国家の制度を整えるに至り、さらに唐は北方のアルタイ山脈やモンゴル高原を拠点とするウイグル、西方のチベット高原やタリム盆地を支配する吐番からの侵攻を受けるようになった。 そして10世紀に唐が滅んでから政治勢力は分裂し、東北平原ではモンゴル系の遊牧民がキタイ帝国を建国して中国に対抗し、また朝鮮半島では新羅から高麗へと王朝が代わった。キタイ帝国は11世紀にモンゴル高原にも進出し、その地域では天山ウイグルや西夏の勢力もあった。
キタイ帝国の勢力圏はやがてツングース系女真人によって金王朝に取って代わられ、逃れたキタイ人は天山山脈を中心にカラ・キタイを建てた。またチベット高原とその周辺の内陸部ではチベットが勢力を拡大していた。 13世紀にチンギス・ハンがモンゴルを統一するとヨーロッパや中東にも及ぶ遠征を行い、東アジアでは金と南宋を滅ぼし、朝鮮半島を支配下に入れ、日本以外のほとんどの地域を支配するに至った。統一された地域は元の下で支配されたが、15世紀に元が崩壊してからはモンゴル高原に拠点を戻し(北元、タタル)、中国大陸では明が成立した。 17世紀に明が滅んで清が成立すると支配地域を東北地方、モンゴル高原、チベット高原にまで拡大していた。
近代の東アジア
18世紀に東アジアの情勢に変化をもたらした要因の一つは16世紀から17世紀にかけて行われたロシア帝国の勢力の拡大であり、18世紀には清と国境を接することになっていた。また18世紀にはイギリスの貿易活動が東アジアにも及ぶようになっており、清は華南の広州に限定した上で通商を開始し、また日本でも従来の鎖国から開国へと転換するなど経済的、政治的な影響をもたらした。19世紀において清がアヘン戦争、日清戦争に敗北してからは、清は急速に欧米列強の植民地化の対象とされる。日本では政治改革や軍制改革、産業転換によって近代化に成功し、日露戦争に勝利してからは朝鮮半島と重要港湾の支配権を確保する。中国では各地で軍閥に別れ、欧米列強を排斥する運動が進められた。その運動から中華民国が新しく成立する。
20世紀に入り、第一次世界大戦後に中国での排斥運動と日本の大陸政策は衝突し、満州事変によって満州を掌握した日本は満州国を建国した。中国では共産党と国民党が連合してこの日本の大陸進出を排除するように呼びかけられ、第二次世界大戦(太平洋戦争)で日本は敗北して中国大陸、台湾、朝鮮半島の支配権を失った。 その直後、中国大陸では国民党が共産党に敗れて台湾に渡り、共産党は中華人民共和国を建てて東北地方からチベット地方までの地域を領有することとなり、国民党は台湾で中華民国を再始動させた。 また日本の敗戦後に朝鮮半島は南北で分断され、北部には朝鮮民主主義人民共和国、南部には大韓民国が建国された。この南北分断はアメリカとソ連の冷戦構造の下で朝鮮戦争の勃発を招くことになり、東アジアはアメリカの自由主義陣営に属する日本、韓国、台湾とソ連の共産主義陣営に属する北朝鮮、中国に分断され、樺太・北海道、朝鮮半島の北緯47度線、そして台湾海峡では軍事的緊張が高まることになった。 1960年代後半に中国とソ連の関係が悪化したことで中ソ国境紛争が勃発しており、また1970年代後半には中国は「四つの現代化」という路線変更を行った。
政治
国家・地域一覧
東アジアに含まれる国々、地域は以下の通り。
以下の国々、地域を含む場合もある。
およそ12,000,000 km²、アジアの28%、ヨーロッパより15%大きい。全ての大陸の面積の約15%を占める。人口は15億7,500万人以上で、アジアの38%、世界全体の22%(1/5強)にあたり、東アジアは世界で最も人口密度の高い地域の一つである。平均人口密度は1km²当たり130人であり、これは全世界の平均の3倍に当たる。
広義的には、東北アジア・オセアニア・東南アジア・南アジアなどを指すこともある。
国際政治
古代の頃から東アジアには漢族、満州族、モンゴル族、朝鮮族、大和民族など50以上の民族が存在していたが、最も広大で豊沃な地域であると同時に東アジア地域の中心地でもある黄河・長江流域を中心に東アジア世界の形成と動揺が見られた。特に6世紀末に南北朝を統合した隋はそれまで黄河を中心とする華北と長江を中心とする華南を大運河によって接続することに成功した。隋の次の王朝となった唐はその成果を受け継ぎながら三省六部の構築、律令制度の整備、均田制の施行など中央集権制の国家体制を確立した。唐は東アジア世界において周辺諸国からの朝貢を得ながら一極集中の中華秩序を構築し、漢字、儒教、律令などが日本や朝鮮など東アジア各地に伝播していった。この唐の時代に形成された東アジア文化圏は唐と周辺諸国の間の使節の交換を盛んなものとし、政治的影響だけでなく文化的影響も与えた。これは唐が滅んだ後にも明王朝や清王朝の時代に受け継がれ、東アジア地域における国際秩序の基礎をもたらしていた。
国内政治
経済
農業
東アジアは東部の沿岸部に農業生産に適した米作・畑作地域を擁しており、西部の内陸部に牧畜に適した地域がある。米作に適した華南の長江領域は年間降水量が1000ミリを超え、気候も温暖であるために米が生産されている。米以外には麦、茶、桑、果物、サトウキビなどが季節に応じて生産されている。長江下流の平原には水田が開発されており、二毛作地帯として裏作として小麦、綿花が生産される。水田には適さない丘陵地域は茶や桑、養蚕の生産地域となっている。年間降水量が1000ミリに達しない華北地方では乾燥と冬の気温から畑作と家畜の飼育が行われる地域である。華北平原の特徴として黄土があり、これは微細な粒土から構成される黄褐色の土壌である。この地域の耕作地では灌漑を行って小麦、粟、こうりゃん、とうもろこし、綿花、落花生、たばこ、大豆が生産されている。また家畜としては豚、にわとりも生産されている。東北地方でも畑作が行われ、特に夏の高温を利用した米の栽培が盛んである。内陸部ではステップ地域で羊の遊牧が行われ、一部の灌漑が整備された地域では小麦やこうりゃんも栽培されている。砂漠地帯ではオアシスが耕作地として開発されており、自給自足的な灌漑農業が行われている。小麦、綿花、ぶどうなどが主な生産物である。
工業
東アジアは鉱物資源も豊富であり、石炭、鉄鉱石、タングステン、マンガン、水銀、モリブデン、アンチモン、塩の生産が盛んである。さらに石油や天然ガスの生産も行われており、東アジア地域の工業化を促している。東アジア地域で本格的な工業化が進められたのは19世紀以後である。海外の資本流入があった当初は繊維産業や雑貨工業が立ち上げられた。日本でも繊維産業が国家の政策の下で立ち上げられる。第二次世界大戦後に共産主義政権が中国で成立し、また日本や朝鮮など戦争からの復興が必要になってからは重工業化のために資源開発と工業都市の開発が進められた。東北地方の鞍山コンビナート、華北の包頭コンビナート、華中の武漢コンビナートは中国における工業地帯の中心であり。台湾では高雄と基隆が中心となっている。韓国には京仁工業地帯などがあり、日本にも阪神工業地帯や京浜工業地帯などがある。
商業
2013年のGDPは以下の様になっている。EUとアメリカ合衆国は比較対象として。
順位 |
国名 |
名目GDP |
― |
17,227.73 |
|
― |
東アジア |
16,935.73 |
― |
16,237.74 |
|
1 |
9,020.30 |
|
2 |
6,149.89 |
|
3 |
1,258.59 |
|
4 |
494.85 |
|
5 |
12.10 |
|
6 |
該当データなし |
軍事
文化
コンピュータやネットワークの分野で(主に西洋からの視点で)「東アジア」という呼び方をするときは、漢字を用いて2バイト言語が一般的に使用される環境(中国語・日本語・朝鮮語・ベトナム語の環境、CJKまたはCJKV)のことをまとめて指していると考えてよい。
人種
典型的な東アジア人はモンゴロイドに属す。北方の新モンゴロイドは蒙古斑や蒙古ひだを持つ人間が多い。その肌は薄い褐色をおび、白人からみると全体的に「黄色」く見えるので有色人種に分類される。
言語
東アジアの国々はそれぞれ独自の文化を持つが、いずれも古くは中国の影響を受けている。台湾、日本、大陸では漢字を共通して使用するほか(近年まではベトナム、韓国等も漢字を使用)、瓦を用いた建築や箸を用いる食文化などに共通点が見られる。これらの漢字を使用する(またはかつて使用していた)、中国の影響を受けた国を総称して漢字文化圏という。
東アジアの言語区分
宗教
「東アジアの宗教」を参照
東アジアにおいては、中国の民俗宗教や神道のように信者と教団の結び付きが弱い宗教の割合が高く、習合も盛んであるため、信者であるかどうか、どの宗教の信者であるかを定めがたい場合が多い(中国の宗教・日本の宗教#国民と宗教も参照)。加えて、人口の過半数を占める中華人民共和国では(特に文化大革命期に)多くの宗教に対する弾圧が行われているため、信者数の正確な統計を得ることが難しい。
中国の民俗宗教(分類や名称については議論があり、「神教」と呼ばれることもある)は一般に中国大陸での最多数派とされる信仰である。道教の影響を受けており、習合も見られ、明確に区別できない場合もある。台湾の宗教統計での「道教」もおおむね同系統の信仰形態を指している。
仏教はおもに大乗仏教が信仰されている。大乗仏教のうち、中国系の仏教は日本では神道と並ぶ多数派であり、中国、韓国にも一定の信者がいる(なお、ベトナムでは最多数派である)。また、同じく大乗仏教の一派であるチベット仏教はチベット地域やモンゴルでの最多数派である。
キリスト教はカトリックとプロテスタントが中心だが、ロシアの影響が強かった地域を中心に正教も見られる。韓国では(無宗教者を除けば)キリスト教徒が最多数派で、このうち約2/3がプロテスタント、約1/3がカトリックである。中国のキリスト教には政府の公認を受けないカトリックの地下教会が多数存在するとされ、正確な信者数は定かではない。
イスラム教は中国では回族のほか、ウイグルなど中央アジア系の一部の少数民族に見られ、ほとんどがスンナ派(ハナフィー学派)である。日本や韓国でも在留外国人を中心にムスリムが一定数存在し、コミュニティを形成している。
儒教を宗教に分類するかどうかは議論があるが、東アジア全域、特に中国大陸・台湾・韓国の社会に強い影響を及ぼしている。
脚注
関連項目
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