故宮博物院
施設情報 |
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正式名称 |
國立故宮博物院 |
愛称 |
故宮、台北故宮 |
前身 |
国立北平故宮博物院 |
専門分野 |
中華民国と東洋の文化財 |
来館者数 |
5,301,860人(2015年) |
管理運営 |
行政院・国立故宮博物院 |
建物設計 |
黃寶瑜 |
開館 |
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所在地 |
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位置 |
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公式サイト |
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故宮博物院 |
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各種表記 |
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繁体字: |
故宮博物院 |
簡体字: |
故宫博物院 |
拼音: |
Gùgōng Bówùyuàn |
注音符号: |
ㄍㄨˋ ㄍㄨㄥ ㄅㄛˊ ㄨˋ ㄩㄢˋ |
発音: |
グーゴン ボーウーユエン |
英文: |
National Palace Museum |
国立故宮博物院(こくりつこきゅうはくぶついん)は、中華民国の台北市にある博物館である。この博物館は、中華民国の国立博物館のうちの1つであり、最大のもので、696,000個以上の古代の中国の人工品および美術品を所蔵している。ほとんどの収集物は中国の古代の皇帝によって集められた高品質なものである。
目次
沿革
故宮博物院は、1924年に北洋軍閥の一人である馮玉祥が溥儀を紫禁城宮殿から退去させ、1925年10月10日に宮殿内で清朝が持っていた美術品などを一般公開したのが始まりである。1925年当時の所蔵品点検レポートによると所蔵品総数は117万件を超えており、博物院は古物館、図書館、文献館を設けて各種文物の整理をする一方で、宮殿内に展示室を開設して多様な陳列を行なっていた。
その後、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石の国民政府(1948年からは中華民国政府)は博物院の所蔵品を戦火や日本軍から守るべく重要文物を南方へ疎開させ、1933年2月から5月までの間に1万3,427箱と64包に及ぶ所蔵品がまず上海に運ばれ、その後1936年12月には南京市に故宮博物院南京分院保存庫に移動させた。その後1937年に日本軍が南京に向けて進軍してきたために、所蔵品は再び運び出されて80箱が四川省の巴県に、9,331箱が楽山に、約7,287箱が峨嵋の計3カ所に避難させられた[1]。
第二次世界大戦後、運び出された所蔵品は重慶を経て再び南京・北京に戻されたが、国共内戦が激化するにつれて中華民国政府の形勢が不利になったため、1948年の秋より中華民国政府は故宮博物院から第一級の所蔵品を精選し、第1陣として772箱の文物が、1949年1月には第2陣として3,502箱の文物が、同月に第3陣として1,251箱の文物が台湾に運び出された[1]。台湾に運ばれた中華の至宝は、初め台中県霧峰郷北溝の文物庫房に保管され、故宮の収蔵品の他に中央図書館・中央研究院史語所・中央博物院準備処の所蔵品も収められていた。1957年3月には北溝の陳列室で一般公開を始めた。その後中華民国政府は北溝の地が辺鄙であり、国内外の参観者を集めにくいとして、1965年8月台北の外双渓に台北新館を落成し同年11月12日に一般公開した[1]。その後国をあげて展示スペースの拡充と倉庫の建設および研究や出版・国際交流活動等ハードソフト両面に力を注ぎ、その収蔵品の価値の高さも相俟ってルーブル・エルミタージュと並び称される博物館となった。これが現在見られる台北市の國立故宮博物院であり、ここに中華文明の神髄があるともいわれる。したがって故宮博物院の所蔵品は北京と台北の2カ所に別れて展示されている。これとは別に所蔵品の一部は、国共内戦後の中華人民共和国建国後の混乱のため北京に戻すことができず、現在も南京博物院の管轄の下南京に保管されている。
なお、瀋陽の故宮博物院は、元々が後金の小規模な宮城であった瀋陽故宮に置かれており、主に後金・清時代の文物・美術品が展示されている。
台湾 台北市
代表的な所蔵品 - 翠玉白菜 |
台湾の国立故宮博物院は、台北市北部の士林区にあり、付近には高級住宅街が広がっている。この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計6万件冊。(台北に運ばれた旧故宮博物院の文物は、器物46,100点、書画5,526点、図書文献545,797点で、中央博物院の文物は、器物11,047点、書画477点、図書文献38点で、両院合せて総計608,985点である[2]。)
この博物院は、1960年代から1970年代に中華人民共和国で起きた文化大革命における文化財の組織的破壊から、貴重な歴史的遺産を保護するという役割を担ったが、同時に中華民国政府が中国 (China) の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱したばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置としても中華民国政府に利用されていた。そのために現在では、早期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から「『台湾国独立』と引換えに故宮博物院の文物を紫禁城に返そう」という主張が出ているが、実現の可能性はほとんど無い。2016年9月には台北故宮博物院院長退任直後の馮明珠が中台一体化の演出を狙う中華人民共和国政府の招聘[3]で北京故宮博物院顧問に就任して台湾国内で物議を醸した[4]。
2001年より大規模な耐震・改装工事が行われ、館内の一部が閉鎖されていた。工事は2006年12月末に完了し、2007年2月8日より全館が一般公開された。
展覧館は年中無休、一般入場料は250台湾ドル。図書文献館は日曜祝祭日休館で閲覧証持参者は閲覧無料である。
台湾 嘉義県
台湾南部の嘉義県太保市にある高鐵嘉義駅と嘉義県庁の隣に国立故宮博物院南部院区 - アジア芸術文化博物館(故宮南院)が2015年12月28日開業。博物院の機能の分散化を図るとともに、アジア文化をテーマとしている。
主な展示物
入口の門(牌坊) |
博物院前の標柱(華表) |
博物院前の狛犬 |
至善園(敷地内にある庭園) |
肉形石(清時代) |
観音像(明時代) |
早春図(郭煕作・宋時代) |
宋太祖坐像 |
阿玉錫持矛盪寇図(郎世寧作・清時代) |
百駿図(郎世寧作)、縦94.5cm × 横776.2cm、1728年
渓山清遠図(夏珪作)、縦46.5cm × 横889.1cm、約1195 - 1224年
黃州寒食詩帖(蘇軾作)、縦34.2cm × 横199.5cm、1082年
詩帖(宋 徽宗作)、縦27.2cm × 横263.8cm、約1100 - 1126年
清院本 清明上河図、縦35.6cm × 横1152.8cm、1736年
中国 北京市
詳細は「紫禁城」を参照
北京の故宮博物院 |
中華人民共和国北京市の故宮博物院(簡体字:故宫博物院)は、もとの宮殿(紫禁城、別称は故宮)であった所を博物館にしている。
一般入場料は40元(4月から10月は60元)。留学生のみ学生証によって学割が適用される場合があるが基本的には外国人は子供も一般料金が適用される。120cm以下の子供は外国人を含めて無料。「珍宝館」および「鐘錶(時計)館」はそれぞれ別料金(10元)である。敷地内は広大で、売店や軽食堂がある[5]。また多くの言語の音声ガイドサービスが用意されていて、中には人工言語のエスペラントまである。等級は中国国家一級博物館に分類されている。
現在は故宮博物院の敷地外となっている天安門や端門への登楼も有料で可能であり、正門である午門の前にも民営の小さな展示館がたくさんある。
主な展示物
陶製 童子枕 |
銅製の帽子掛時計(清時代) |
洛神賦(顧愷之作、東晋時代) |
游春図(展子虔作、隋時代) |
歩輦図(閻立本作、唐時代) |
写生珍禽図(五代十国時代) |
五牛図(唐韓滉作、唐時代)
伯遠帖(王珣作、東晋時代)
中秋帖(王献之作、東晋時代)
韓熙載夜宴図(南唐時代)
清明上河図(張択端作、北宋時代)
文献
中国 瀋陽市
詳細は「瀋陽故宮」を参照
瀋陽故宮の崇政殿 |
中華人民共和国遼寧省瀋陽市瀋陽路171号にあり、1926年に創立した。
博物館は敷地面積が7000平方メートル、収蔵されている文物は数万点あり、いずれも清朝の宮廷の歴史、宮廷の生活を反映した実物や資料であり、典制文物・宗教関係の文物・書・絵画・磁器・刺しゅう・碑刻などが含まれ、そのなかには国宝級の収蔵品も数多くある。博物院の展観として、「清朝宮廷の原状」、「宮廷歴史文物」、「清代芸術品展」などがあり、清朝の前期の宮廷の遺物を主とし、2239点の文物・資料が展示されている。
2004年、瀋陽故宮はユネスコ世界遺産(文化遺産)に「北京と瀋陽の明・清王朝皇宮」として指定された。
文献
交通アクセス
台北 故宮博物院
脚注
関連項目北京と瀋陽の明・清王朝皇宮
外部リンク
故宮博物院(台北)(繁体中文(正体中文)、日本語、英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、他)
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座標: 北緯25度06分07秒東経121度32分55秒 北緯25.10194度東経121.54861度
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