延辺朝鮮族自治集
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延辺朝鮮族自治州(えんぺんちょうせんぞくじちしゅう)は、中華人民共和国吉林省に位置する朝鮮族の自治州。州人民政府所在地は延吉市。現在、全人口のうち漢族が過半数以上の59%を占め、朝鮮族の割合は39%に低下している。
様々な場所で漢字とハングルが併用されており、地元の延辺朝鮮語では漢字の朝鮮語音に従って연변と表記され、北朝鮮でも同様の表記がされる。一方、韓国では漢字の韓国語音表記を採用せず、中国語音を音写した옌볜と表記される。[1]
目次
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地理
自治州の西南部に白頭山が聳え、この山から流れ出る豆満江を境にして朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)咸鏡北道と接し、東部はロシアの沿海地方、北部は黒竜江省牡丹江市と接する。西部は同じ吉林省の吉林市と通化市である。
白頭山は満州族にとっても朝鮮民族にとっても聖なる山とされている。全体に山がちの地形で、豆満江流域にわずかに平地が開けている。
歴史
古代の高句麗、渤海の故地であり、とくに敦化市には渤海初期の都城・東牟山があった。渤海の壁画古墳として名高い六頂山貞恵公主墓(敦化市)はこの時代の遺跡である。渤海の都はその後、上京竜泉府(黒竜江省牡丹江市)に遷ったが、自治州内には東京龍原府(琿春市)、中京顕徳府(和龍市)が置かれていた。渤海滅亡後は女真の領域となり、明代には建州衛が置かれた。
清代に入るとこの地は支配者である満州族の聖地と見なされ一般人の出入りが禁じられた。そのため人口密度が極端に低い状態が続き、そこへ貧困から当地に密入国する朝鮮族が増え不法に定住を始める。清代後期に延吉庁と琿春庁が置かれ、満州国時代には間島省が設置された。
中華人民共和国が成立すると、1949年に吉林省延辺専区が設けられ、1952年に「延辺朝鮮民族自治区」となり、1955年には「延辺朝鮮族自治州」となる。1958年に敦化県(当時)を併せて拡大された。文化大革命時期には州長であった朱徳海(朝鮮族)が「地方民族主義の金持ち」として紅衛兵に迫害され、死亡したこともある。
行政区域
6県級市・2県を管轄する。
延辺朝鮮族自治州の地図 |
年表
延辺専区
延辺朝鮮族自治区
延辺朝鮮族自治州
経済
延吉市は木材の生産地で、鉱物資源が豊富なことでも知られる。ロシアと北朝鮮国境に近い琿春市は国境開放都市に指定されている。
1992年の中国と大韓民国(韓国)の国交樹立以降は、自治州には韓国からの直接投資が急増し、中国の辺境地域としては最も高い経済成長を達成している。
2003年の生産総額(GDP)は対前年比10.1%増の171.5億人民元、一人当たり生産総額は7841元であった。産業構造は第一次産業14.2%、第二次産業46.5%、第三次産業39.3%となっている。対外貿易輸出は対前年比28.8%増の2.8億米ドル、輸入は5.3%増の1.3億米ドルであった。 韓国、日本等へ出稼ぎに出ている人が多くいる。1980年以後に生まれた人(80後)の中にはエリートが多く、3か国語が話せる人が多くいる。
交通[
航空
道路
教育
マスコミ[ソースを編集]
脚注
1. ^ 韓国では同じ漢字文化圏である中国、台湾、香港、日本、ベトナムの地名・人名を表記する際、原語音を音写したものを使用するため。
関連項目
外部リンク
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