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、東洋医学考察

東洋医学考察

■東洋医学とは

鍼灸の基礎になっている東洋医学では、西洋医学とは違った観点から体を見ていきます。東洋医学では、私たちの体は本来バランスがとれているもので、そのバランスが失われるとさまざまな病気になると考えます。そのバランスを示す概念は、二つあります。

陰・陽
男と女、光と陰、プラスとマイナス、裏と表など、この世の万物は対極にある二つの概念で支えられています。それは、体にも当てはまるとされます。そして、その両対極の力関係のバランスが崩れるとき、病気が起きるというわけです。

体の健康にかかわるバランスは「陰陽」と呼ばれています。「陰」とはマイナスに傾く現象、「陽」はプラスに傾く現象と考えていいでしょう。その陰陽の間を行き来しているのが「気」です。東洋医学では、「陰の気は下に向かい、極まれば上に昇る。陽の気は上に向かい、極まれば下に降りる」といわれています。

例えば、私たちは基本的には昼間は「陽」の気が盛んで、夜になると「陰」の気が盛んになります。しかし、こうしたバランスが崩れて、夜になっても「陽」の気が盛んな場合、不眠症になってしまいます。

虚と実
こうした陰陽のプラス・マイナスの状況を表わすのに、東洋医学では「虚・実」という概念を用います。

「虚」とはマイナス、あるいは低下している状態を表わし、「実」とはプラス、あるいは向上していることを表わします。一般的な考えでは、「実」がよく「虚」がよくない状態と考えがちですが、そうではありません。あくまでも両者のバランスがとれていることがいいのです。

例えば、頭痛があり肩がこっているのは上半身の「実」、腹痛があり、冷え症であるのは下半身の「虚」です。この場合、上半身の「実」を下げ、下半身の「虚」を上げるように気をコントロールするのが施術者の仕事です。

陰陽のバランスを虚・実という物差しで判断し、もとの健康な状態に整えること、それが東洋医学の基本です。この時、ポイントになるのが、いわゆるツボです。ツボにはそれぞれ、どの部分を虚にする、あるいは実にするという性格があります。そこに鍼、灸などで適切な刺激を与えるというわけです。

五行
五行とは、この世に存在するすべての物質をその性質によって五つに分類し、さらにそれらが互いに及ぼしあう影響関係をまとめたものです。

東洋医学では、万物はその性質によって木、火、土、金、水に大別できるとします。そしてまず、これらは互いに補いあう関係を持つとします。例えば、木は火を起こし、火は灰から土になり、土は固まって金(ゴールドに限らず鉱物全般というような概念)となり、金には水が寄ります。その水で木が育つという考えです。このように物質が補いあう関係を「相生」といいます。

一方、木は(道具となって)土を耕し、土は水をせき止め、水は火を消し、火は金を溶かし、金は(道具となって)木を切るという関係も成り立ちます。このように互いに反発しあう関係を「相克」といいます。

この五つの概念は、私たちの体にも当てはまるとされています。木は「肝」、火は「心」、土は「脾」、金は「肺」、水は「腎」とされています。

ここでは肝は肝臓に、腎は腎臓にかかわっていますが、東洋医学では実際には西洋医学の臓器とはちょっと違う範囲で考えています。そのことはここでは詳しく説明する余裕がないので、体の各部分がこの五つのどれかに当てはまると考えられていることだけを理解してください。

例えば「心」が強くなると(実すると)、その影響は図からわかるように「肺」に出ます。ですから、「肺」の調子が悪くなったとき東洋医学では肺そのものだけを見るのではなく、「心」の様子を見ます。そして、「心」が実になりすぎないような処置をすると同時に、「心」に影響を与える「肝」の働きを強めるのです。こうして、悪い部分だけをピンポイントで見ていくのではなく、体全体のバランスを整えるという視点で治療していくのが東洋医学の方法なのです。


■ソフトエラスティックテープを使おう!

トレーナーズテープよりもぴったり密着性があり、エラスティックテープよりもソフトな肌触りのソフトエラスティックテープは、ハサミを使わずに手で簡単にカットできることから、スポーツの現場で多くのトレーナーに愛用されています。伸縮性・粘着性に優れるため、患部の圧迫・固定、また各部位のテーピングの仕上げ等に使用します。


■テーピングの仕上げ、または代用として・・・

トレーナーズテープ13mmや25mmなどで手や足の指の過伸展捻挫補強のためのテーピング

補強したい部分をソフトエラスティックテープで少し強めに巻き、その他の部分はゆるめに

 

トレーナーズテープを使わず、ソフトエラスティックテープのみでの軽いサポートも可能


手首の過伸展予防テープ(手の平側)

手首の過屈曲予防テープ(手の甲側)

ソフトエラスティックテープを巻いて補強します

■足関節テーピングの仕上げ、U字パッドの固定と圧迫に・・・

  
足関節捻挫の再発予防テープ
仕上げにソフトエラスティックテープ
巻いて補強します

※最後にトレーナーズテープソフトエラスティックテープを止めるとはがれません。


足関節捻挫後の圧迫を加えるU字パッドの固定に


■すり傷、切り傷の消毒処置後のガーゼ固定に・・・

傷は必ず消毒しましょう。
練習中、試合中は汗でバンソウコウがはがれやすいため、ガーゼの上からソフトエラスティックテープを巻いて固定し、傷口を保護します。





■靴ズレ保護用パッドの固定に・・・


ドーナツパッドで靴ズレを囲み、
ソフトエラスティックテープで固定します。



プロテクティブパッド
マメの大きさに合わせてきります。

■慢性の痛みをつくらないために

腰、膝、肩、肘などに慢性の痛みを持っている選手は多いはずだ。ケガがとっくに治ったはずなのに、いつまでも痛みが競技生活を脅かす・・・。慢性の痛みにどのように対処していけばいいのか考えてみよう。

■治っているはずなのに痛むのはなぜ?

  1. 急性痛と慢性痛の違い
    スポーツにケガはつきものです。そして、ケガをすれば多かれ少なかれ痛みがあります。例えば足首をネンザすれば、すぐに腫れて痛くなります。このように、痛みとその原因との関係がはっきりしているものは「急性痛」と呼ばれます。
    一方、ケガがすでに治っているはずなのに、いつまでもその部分に痛みが残っている場合があります。このような痛みは「慢性痛」と呼ばれます。通常、6ヶ月以上続くような痛みを慢性痛とします。しかし、それより短くても、ケガが治った後も続く痛みは慢性痛とされます。
  2. ケガをした選手は焦るもの
    ケガが治っているはずなのに、なぜ痛みが続くのでしょう。その原因の一つとして、精神的な不安、焦り、があげられます。
    ケガをした選手は、自分がケガで休んでいる間に誰かにレギュラーを取られてしまう恐れがあります。また、もしケガが治っても、ケガをする前と同じコンディションに戻れないかもしれません。また、たとえ同じコンディションに戻れたとしても、休んでいた間に実戦のカンが薄れているかもしれません。
    ケガをした選手は、このような不安や焦りを感じ続けるものです。
  3. 気持ちの緊張が痛みを大きくする
    不安、焦りといったマイナスの精神状態は、脳の中で「体によくない状態が起きた」と感知されます。すると、脳は自動的に「交感神経」を興奮させます。交感神経とは、いわば私たちの体を身構えさせて「戦闘体制」とらせる神経です。
    交感神経が興奮し続けると、反対の働きをする「副交感神経」の働きが抑えられてしまいます。副交感神経は、体をリラックスさせる神経です。交感神経が興奮し続けていると体の力がいつまでも抜けず、筋肉は緊張した状態を続けます。夜になっても十分に体を休めることができず、ぐっすり眠れません。
    不安や焦りがある人は、一日中、緊張が続き、血行も悪くなって筋肉が固くなり、たとえ治った部分でも動かすと「痛い」と感じてしまう場合があるのです。だからまず、慢性痛をつくらないためには、ケガが治っても不安や焦りの気持ちを持たないことが重要です。
  4. 知らないうちに痛みを言い訳にするパターン
    自分の成績が思うように伸びない時、また、ライバルにどうしても勝てない時があります。しかし選手は、なかなか素直に「自分に足りないところがある」と認めたくないものです。
    こんな時にケガをすると、ケガが治っても慢性痛になってしまうことがあります。それは、心の奥深い所で、ケガを自分の力の足りない部分の言い訳に使ってしまうからです。「この痛みさえなければ勝てる」というのは、心の奥底で「完全に治って勝負したら負けるかもしれない」と感じていることの、形を変えた表現である場合があります。
    ですから、慢性痛がある場合、自分の心と勇気を持って正直に向き合ってみることも必要なのです。

■痛い所と別の部分に原因があることも多い

  1. 人の動きはムチに似ている
    どこかに慢性痛があっても、痛みの原因がその部分にない場合があります。そのことを理解するには、人の体の動き方を理解しなければなりません。
    人の体の動きはムチに例えられます。ムチは、握った根元の部分を少し動かすだけで、先の部分は大きく動きます。根元でつくられた力が、太い方から細い方に伝わりながら、力も動きも次第に大きくなります。
    人の体も同じです。ボールを投げる動作を考えてみましょう。まず背骨の通っている体の中心でつくられた力が、腰、肩、肘、手首、指という順に伝わります。これは、ムチの力が太い部分から細い部分に伝わっていくのとよく似ています。

  2. 根元が固くなれば端は大きく動けない
    この力のつながりの中で、体の中心で少しでも動きが狭まるようなことがあると、その影響は端に行くほど大きくなります。
    分度器を思い出してください。例えば45度の角度でつくる「弧」は、分度器の中心に近い所より、分度器の外側の縁に近い所が長くなります。仮に、中心ではいつも45度動けていたとして、それが30度に挟まったらどうでしょう。分度器の外側に近くなるほど「弧」の長さの縮まり方が大きくなってしまいます。
    分度器の中心が背骨、外側の縁が手足と考えてみましょう。体の中心で動きが挟まれば、手足の動きはより大きく挟まってしまうことになるのです。体の中心近くの筋肉が固くなって骨や関節の動きを制限すると、その影響は体の端に行くほど大きくなります。しかし、手足ではいつもの通 りの動きをムリにしようとしますから、その筋肉に負担がかかり、痛みが出ます。

  3. 背骨の周りにポイントがある
    こんな時、痛くなった部分ばかりマッサージしても痛みは取れません。もっと体の中心に近いところに固くなっている場所がないか調べる必要があります。
    特に注意が必要なのは、背骨の周りです。全ての動きは背骨からはじまり、肩や腰を通 じて手足の動きをつくっていくと思ってもいいでしょう。背骨の周りの筋肉が固くなっていると、その影響が腰、膝、足首、あるいは肩、肘、手首に出やすいです。

■選手が自分でできる慢性痛の緩和

ここまで紹介した視点を頭に入れた上で、よく見られる慢性痛の和らげ方を見ていきましょう。
  1. 前にかがんだ時に痛む腰痛対策
    痛い場所が腰でも、背骨の近くに原因が考えられる場合があります。背骨には出っ張り(腰椎棘突起)があります。ちょうど胸の真後ろの出っ張り(図1)に上から順番に指を当て、そのつど前屈してみると、どこか一カ所、そこを押さえると腰の痛みが和らぐ場所があります。そこから指を外側にずらせて、肩甲骨の方に押して行くと、強く押さなくてもかなり痛みを感じる場所があります。そこを入念にマッサージしてみて下さい。腰の痛みが落ち着くはずです。痛みを感じた出っ張りと出っ張りの間に、直接、伸縮性のない直径2センチ位のテープを張っても効果が期待できます。












  1. 後ろに反った時に痛む腰痛対策
    後ろに反った時に腰が痛くなる場合、腰の骨の一部(腸骨)と、背骨(上から12番目の骨)との間についている筋肉(図2)が固くなっていることが考えられます。特に右、あるいは左に痛みが偏っている場合は、このことが原因でしょう。その部分をマッサージしてみて下さい。
  2. 膝の下の痛み
    膝のお皿の下の骨が盛り上がり、膝の屈伸やジャンプをする時に痛みがあるような場合、すねの外側の筋肉(つま先を上げると盛り上がる)が疲れて固くなっていることが痛みの原因である場合があります。その部分をマッサージしてみましょう。マッサージのかわりにデニバンを貼ってもいいでしょう。

  3. アキレス腱の痛み
    アキレス腱はふくらはぎの筋肉の延長ですから、ふくらはぎの固さをほぐすマッサージが必要です。アキレス腱ばかりに注意を集中させても効果が上がりません。マッサージの代わりにデニバンを貼ってもいいでしょう。

■最後に

最も大切なことはウォーミングアップ、クールダウン、ストレッチングなどを十分に行って筋肉に余分な負担を残さない努力をしておくことです。また、トレーニングや競技に耐えうる基礎体力づくりをしっかり行い、オーバートレーニングにならないよう無理のないトレーニング計画も必要です。慢性の痛みをつくる前の取り組み

■風邪を理解して賢く克服する
■いろいろな種類のビールス症状もさまざまだから”症候群”

みなさんは、カゼという言葉からどのような症状を思い浮かべるでしょう。クシャミ、鼻水、・鼻づまり、喉の痛み、セキ、発熱、頭痛、時には下痢・・・。実にいろいろな症状があるものです。
カゼはビールス、あるいは細菌によって人体に引き起こされる症状です。多くの場合はビールスが原因です。原因となるビールス、細菌にはさまざまな種類があり、その結果 、私たちの体に起きる症状も人によっていろいろです。どのビールスによってどんな症状が起きると限定できないことから、医学では「カゼ症候群」と呼ばれいます。
カゼのビールスに対しては、私たちの体はほとんど免疫をつくることができません。そのため、毎年のように何度もカゼをひいてしまうのです。昔は小学校などでインフルエンザの予肪接種を全員が義務づけられていました。しかし、最近では希望者だけになっています。それは、ビールスの形が実に多様で、薬がうまく作用する確立が少ないためです。

■一年中ビールスは体に入っている。元気なときはカゼにならない

ビールスはカゼをひきやすい冬に限らず、私たちの生活している空気中のいたるところに四六時中、漂っています。つまり、一年中、私たちはビールスを体内に吸い込んでいるのです。それでも年中カゼをひいていないのはなぜでしょう。
それは、もともとビールスは、体の待っている力に対して、さまざまな症状を起こすほどのパワーがないからです。体の中では常に、外から人ってくる異物を受け付けず、外に押し返す作用が働いています。ビールスの他にも私たちの周りには、いわゆるパイキンがうようよいるのですが、よほどのことがない限り病気にならないのは、そうしたものたちに体の力が勝っているからなのです。
しかし、一度、体力が弱って抵抗力のない状態になると、ビールスも力が発揮できるようになります。そこでさまざまなカゼの症状が出てくるのです。
ですから、まず大切なことは、ビールスに元気を与えるような状況、つまり体が弱った状況をつくらないということです。疲労、睡眠不足、栄養不良などがそういう状況をつくります。特にスポーツマンは、オーバ一トレーニングで消耗した状態をつくらないよう気をつけなければいけません。

■冬にカぜをひきやすいのは鼻・喉の粘膜の働きか弱まるから

疲労、睡眠不足などと同時に、乾燥も注意すべきポイントです。私たちは冬場によくカゼを引きますが、これは、寒いことよりも、乾燥した空気が大きな原因になるからです。私たちの鼻や喉には、粘膜があります。体のほとんどの部分は皮膚に覆われていますが、粘膜の部分は皮膚がなく、一枚コートを脱いだような状態になっています。そのため、粘膜は、直接体の外のものを体内に入れることができる場所となっています。
粘膜にはさまぎまな分泌物があって、害があるものが体内に入らないようにガードしています。私たちがクシャミをしたり、タンを吐いたりするのも、分泌物がからめ取った異物を体内に押し出す作用の一つなのです。
空気が乾燥すると、こうした粘膜の働きが鈍ります。吸い込まれる乾いた空気が、鼻や喉の粘膜の滑らかさを奪ってしまうのです。そうなると、ビールスは簡単に体内に進入できます。そして、さまざまな症状を起こすのです。
ですから、裏返せばセキやクシャミが頻繁に出るようになったら、それは粘膜がかなり攻撃されている状態と考えていいでしょう。それ以上悪化させないことが大切です。

■オカユよりもよく噛んで栄養を。熱がなければお風呂は効果的

カゼをひいたらまず安静。これは常識です。ムダな力をつかわず、体がビールスに打ち勝つために最善の状況をつくるのです。
栄養摂取も大切です。「体が弱っているからオカユで」と考えるより、できるだけ栄養のある食事を取りたいものです。ただし、カゼで消化の働きが落ちいてますし、場合によっては腸などにビールスが作用してお腹を痛めているということもあります。
そういう場合は、できるかぎり柔らか目に調理してもらい、いつもの何倍もよく噛んで食べるという方法がいいでしょう。オカユは食べやすいというだけで、栄養価からすると十分な食べ物ではありません。よく噛みさえすればオカユと似た状態になるので、できるだけ栄養のある食事をしてください。
熱が37度未満であれば、お風呂に入ってもいいでしょう。湯気の湿気が粘膜にいい影響を与えます。

■熱があれば風呂、厚着はダメ。冷やすことを第一に考える

熱があるときはお風呂に入ってはいけません。発熱で、体の中で体温を調節する中枢が異常事態に陥っています。そこに追い討ちをかけるように、体温が上昇するようなことをしては、よけいに体温コントロールが狂ってしまいます。また、発熱で細胞のエネルギーの消費が活発になっています。つまり、消耗の度合いが高まっているのです。そこで体温を上げては、ますます消耗します。
よく発熱すると「汗をかいて熱を出す」などといって、わざわざ厚着をして汗をかくスポーツマンがいます。これはとても危険なことです。汗は、蒸発することで熱を奪ってはくれますが、ダラダラかくような汗ではそういう効果 は望めません。体温中枢を狂わせ、体の消耗の度合いを高める以外の結果は望めません。
発熱したら、体を冷やすことが重要です。氷嚢、氷枕はもちろん、必要ならわきの下、股間など動脈が皮膚表面近くに存在している部分に、冷たいものを当てる処置が必要です。寒気がするからと、暖かい格好をするのは間違いです。寒気があるのは、自分の体温が高いから外の空気を冷たく感じるだけ。まず熱を下げるように努力しましょう。

■スポーツドクターに珍てもらう。漢方薬もドーピングの可能性

薬は、スポーツマンの場合できるだけ市販薬に頼らず、スポーツドクターに処方してもらいましょう。ドーピングの問題があるからです。
市販薬の中にはドーピングで禁止されている成分が入っているケースが多くあります。スポーツドクターなら、その辺りを熟知していますので、効き目があってドーピングに引っかからない成分の調合をしてくれるはずです。スポーツドクターではなく、一般の医者に診てもらう時は、その辺の事情を十分に話しましょう。
「漢方薬なら生薬だから大丈夫」という誤った解釈をしている選手もいます。化学的に成分を抜き出して調合した一般 薬と違い、漢方薬は多くの自然成分を複合させていますから、むしろドーピングにひっかかる成分が入りやすいのです。実際、興奮剤に分類される成分は多く含まれています。
「ドーピングが恐い」と、カゼをひいても一切薬を飲まず、じっと我慢している選手もいますが、これもナンセンスです。事情をよく理解しているスポーツドクターに相談すれば、適切な薬がもらえるはずです。

■3~4日は安静にしておくこと。1週間までは50%で様子を見る

回復の目安は、熱が36度台に戻り、セキ、鼻水などの症状が和らいでいること。大抵は3~4日で症状が和らぐはずです。もちろん、その間は安静で練習は中止です。
症状が柔らいでもすぐに通常の練習に復帰するのは危険です。ひきはじめから数えて1週間位は、通常の50%程度のレベルにとどめておくべきでしょう。自分の体とよく相談しながら練習内容を考えることとが必要です。
オリンピックなど大きな大会になると、真っ先にカゼをひくのが普段十分に鍛えられているはずの若い選手です。高齢で体力が弱いはずの役員が、そのカゼをうつされて後からひくという順番になります。それだけ選手はカゼをひきやすい状態、つまり心身の疲労状態にあるのです。これから冬にかけて、オーバートレーニングはカゼひきに直結しますので、十分に注意してください。

■筋挫傷(肉離れや筋違い)と捻挫(ねんざ)のちがい

スポーツのケガで、よく肉離れやすじ違い、捻挫(ねんざ)という言葉を耳にしますが、これらはそれぞれ別 の外傷です。この2つの違いについて説明します。

一般に筋違いや肉離れとよばれる外傷は、正式名を筋挫傷(きんざしょう)といいます。筋挫傷とは、筋肉や腱(筋肉を骨に付着させる組織)が打撃または無理に伸ばされることによって生ずる怪我です。筋組織をやや伸ばした程度の軽度のものから、組織が完全に断裂してしまう重度のものまで色々で痛みや腫れ、その筋肉を使っての動作ができないなどの機能低下まで症状はさまざまです。

一方、捻挫とは靭帯(じんたい)の外傷を指します。靭帯は骨と骨をつないでいる組織で、関節内にあります。靭帯には、関節が動ける範囲を越えて曲がりすぎたり、伸ばされ過ぎたりしないよう安定させる大事な役割があります。例えば、足首の外側の関節(外くるぶしのあたり)には、靭帯が3本あります。この靭帯は、足部が前に行き過ぎたりすることのないよう、あるいは内側に曲がりすぎたりすることのないようしっかりつなぎとめておく役割をしていますが、足の裏の外側から着地して無理に体重がかかったりすると、靭帯が支えきれなくなって、伸びたり切れたりします。これが、足首の捻挫です。このような怪我は、肘や膝など体内の他の関節でも起こります。
※筋挫傷・捻挫のどちらの場合でも、自己判断はせず、すぐに医師の診断を受けましょう。

■応急処置方法

どんな筋挫傷や捻挫でも、いちばん適切な応急処置法は、受傷した部位に氷などをビニール袋に入れてつくるアイスパックまたはフレキシコールドを置き、約20分間冷やすことです。これをアイシング(冷却)と呼びます。アイシングすることによって、腫れを最小限に抑える手助けができます。痛みを軽減させる効果もあります。腫れを更にコントロールするには、フレキシコールドの上からチャンプラップなどの伸縮包帯を強めに巻き、怪我をした脚や腕を心臓よりも高い位置に上げておくことも大切です。受傷したところを高く上げておくのは、その部分に腫れの原因になる不要な蓄積物が溜まらないようにするためです。
※アイシングは一度に20分以上行わないよう気をつけましょう。フレキシコールドは、冷凍庫から取り出して使用する前に必ず霜をきれいにふきとりましょう。凍傷の原因になります。

■予防

試合・練習前には必ず充分なウォーミングアップを行いましょう。体の筋肉や関節が硬いまま、突然激しい運動を始めると、挫傷や捻挫の危険性も高くなります。普段のウォーミングアップの中に、必ず筋肉の柔軟性を高めるストレッチングを組み込みましょう。また、ウェイトトレーニングで、受傷しやすい関節の周りの筋肉を鍛えることも、怪我の予防に効果的です。特に、一度挫傷や捻挫を起こしたことのある部位は、きちんと筋力を回復させないと、また同じところを傷める可能性があります。チャンプラップ(伸縮包帯)を巻いたり、ブレース(サポーター)やテーピングをしたりすることもからの復帰直後や再発防止に役立ちますが、最も大切なのは適切なエクササイズを行い(リハビリテーション)、筋力や筋持久力、バランス感覚などの向上に努めることであるのもお忘れなく。 ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。ここに説明文が入ります。

■腰痛:腰仙・仙腸関節捻挫

■腰痛とは

 
腰部の痛みは病理学的なサインであり、必ずしもその部位に問題があるというわけではありません。腰痛を表すにはさまざまな用語が使われますが、そのほとんどが誤解や類義語であったり、あるいは間違いであったりすることが多いものです。スポーツにおいて最もよく使われる表現には、坐骨神経痛と腰仙・仙腸関節捻挫があります。
アスリートの年齢が高くなると、腰部の傷害はより起こりやすくなります。高校生レベルでのこの傷害の発生率は比較的低いのですが、大学・プロへと上がるにつれて段々と増えてゆきます。いわゆる急性腰部傷害とは、長期にわたって打撲や急激な捻りを繰り返し悪化させてきた変性が積み重なった状態で、ほとんどの場合が姿勢異常や数多くの小さな傷害に起因しています。また、解剖学的な「弱さ」が存在するときも傷害が発生します。体幹や脊柱は仙骨を下方へ押しさげ、逆に下肢と骨盤は上方へ押し上げます。したがって、体幹がある一方向に捻られ、反対側のハムストリングスが骨盤を下方へ引っ張ったりした時に異常なひずみが生じます。柔軟性の足りない腰部や構造的に変形していたり、筋力の弱い腰部にこのようなストレス(力)が加わると、障害の原因となります。

■坐骨神経痛

坐骨神経痛とは坐骨神経が炎症を起こしている状態をいいます。大腿部後方と内側の神経経路に痛みを伴います。坐骨神経痛という用語は、一般的に腰痛すべてを意味するなど、はっきりした原因を追求されずに間違って使用されることもあります。坐骨神経は腰仙骨神経叢を起始とし、各神経枝を下肢の筋肉へと連絡します。最も大きな坐骨神経枝は第5腰神経で、脊椎をでてすぐに仙骨の開口部を通 ります。この神経は特に捻りや直接打撃に対して弱く、脊椎から出てすぐの所で異常なストレッチや圧迫がかかりやすく、外傷をひきおこします。また、坐骨神経は坐骨棘を通過する部位に傷害を受ける恐れがあります。この部位で筋スパズムや打撲が起こると、神経に直接圧迫が加わり、このとき最も影響を受けるのが腰仙関節と第5腰神経になるのです。
坐骨神経痛を患うアスリートは、局所的な痛みやうずき、動作痛、皮膚感覚麻痺やチクチク感などを神経に沿ったさまざまな部位で感じます。

経絡療法の考察から

ここでは、「経絡学」、経穴学」から「経絡療法」へのアプローチを学びます。

 中国医学  漢方医学  韓医学


中国医学

   
 
生薬薬用植物など)を用いる。図は甘草
経絡図の一例
 五行による相互作用の分析図  
中国医学(ちゅうごくいがく)とは、中国を中心とする東アジアで行われてきた伝統医学である。東洋医学、中医学、中国伝統医学とも呼ばれる。近年は欧米でもTraditional Chinese medicine (TCM、伝統中国医学)の名で、補完・代替医療として広く行われている。
アーユルヴェーダ(インド伝統医学)・ユナニ医学(ギリシャ・アラビア医学)と共に三大伝統医学に数えられ、相互に影響を与えたと考えられている。 中国地域に伝わる伝統医学は多様であるが、中華人民共和国の成立以降整理され、中医学の名で統一理論が確立された幸井俊高 『漢方的スローライフ』〈ちくまプリマ―新書〉、筑摩書房、2005年。[1]。そのため日本では、中華人民共和国で整理された医学体系を「中医学」とし、それ以前を「中国医学」として区別する場合もある。中華人民共和国では東洋医学という用語は日本の伝統医学を指すことがあるが、国際東洋医学会という国際学会があるように、日本・韓国・台湾では一般的な用語として用いられている。少数民族土着の医療との対比において、主に漢族が実践してきたものであると考えることもできる。

日本では、漢方医学を中国医学と同じものと捉える人も多いが、漢方医学は中国から伝来した医学が日本で発展したものであり[1]、重視する理論や診断法、使用する生薬量などに違いがある[2][3][4]。日本、朝鮮半島チベットなどの中国周辺の医学は、中国医学の影響を濃く受けて発展した。公文書に漢文を用いた中国・日本・朝鮮半島では書籍の翻訳が必要なかったこともあり、医学書の交流も盛んであった[5]東南アジアの伝統医学は、中国医学・アーユルヴェーダ両方を取り入れたものが多い。

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   概要

以下のような点が中国医学の特徴として挙げられる。

  • 全身を見て治療を行う。西洋近代医学とは異なり、複数ある症状をもって「」という概念で治療方針を決める。
  • 人間の心身が持っている自然治癒力を高めることで治癒に導くことを特徴としている。そのために生薬などを用いる。
  • 診断も、四診によって行う。西洋近代医学のように機械や採血の検査結果を用いることはない。よって、体を侵襲することがなく、害が少ないとされる。

   書物

医書

  • 黄帝内経』(作者不明、前漢):現存する中国最古の医学書。陰陽論と五行論を参考に著されている。生理・養生・環境衛生、養生などを気候・季節などとの関係で述べる哲学的・理論的な「素問」と、解剖・生理を説いた上で鍼灸などの臨床医学を実践的に論じた「霊枢」からなる[6]
  • 傷寒論』(張仲景後漢末期から三国):伝染性の病気に対する治療法が中心。すでに四診、八綱弁証()、八法(八つの治療法)の原則と具体的な方法が説明されている[4]
  • 難経』(作者不明・後漢以降):『黄帝内経』を問答形式で解説。独自の内容もあり、鍼灸術や日本の後世派に影響を与えた[6]

本草書

  • 神農本草経』(作者不明、後漢から三国):365種の薬物を上品(養命薬)・中品(養性薬)・下品(治病薬)の三品に分類して記述する[4]
  • 本草綱目』(李時珍、):中国の本草学史上内容が最も充実した本草書。全52巻。

   歴史

中国における歴史について記す。

古代

代の甲骨文などには「医」「薬」といった文字は見当たらず、未だ人々のあいだに医療という概念がなかったものと思われるが、やがて巫祝(ふしゅく)と呼ばれる、集落の神事とともに人々の病も癒す呪術師的存在があらわれることになる。最初の医療は、今でいう「占い」「魔よけ」にあたるものが主流であったが、やがてそこへ生薬などの「薬物療法」や、鍼灸の原初的段階が組み入れられていく。それとともに巫祝も、巫を専門とする神官的な存在と、医を専門とする医師的な存在に別れていったと考えられている。

こうして秦以前にも扁鵲(へんじゃく)などの名医の存在が数々の記録に残っており、たとえば扁鵲は六不治の一つとして「巫を信じて医を信じざればすなわち不治」をかかげ、すでにこの時代に医者と呪術師的な存在、すなわち医学と宗教とは明確に分離されていたことをうかがわせる。

中古

前漢紀元前202年~紀元8年)の時代には『黄帝内経』という現在知られている最古の医書が編纂されている。後漢25年220年)の時代に張仲景により『傷寒雑病論』が編纂される。ただ、この『傷寒雑病論』は、長い戦乱で散逸し、雑病の部分だけが見つからず、『傷寒論』だけが残り、孫思邈の『千金要方』などに、引用文などが書かれてはいたものの、『雑病』にあたる部分は発見されずにいた。北宋時代に王洙が『金匱玉函要略方』を発見し、その後半部分が『雑病』の部分にあたるとして、林億らによって、『傷寒論』と重複する部分を分けられ、『金匱要略(正式名称は金匱要略方論)』として、世に出回ることになる。張仲景は『傷寒雑病論』の序文において、『黄帝内経』を理解してから読まなければならないと書いているため、『黄帝内経』も読まずに『傷寒論』『金匱要略』を軽々しく扱うことを疑問視する流派もある。『傷寒論』は現在医学での流行性感冒と推測される急性熱性疾患をモデルに病勢の進行段階と治療法を論じたとする流派もあるが、『傷寒』とは狭義の意味は急性熱性疾患であるが、広義は熱性疾患のみに留まらぬ意味もあるため、これもまた意見の分かれるところでもある。中国医学は張仲景によって初めて理論的に体系化されたともいわれる。

唐代の孫思邈は、医学全書である『備急千金要方』などを著すが、これまでの医学思想に神仙系の医学思想や仏教医学の思想を加味した。『傷寒論』の薬方を取り入れて『千金翼法』を著した。[7]

中世

時代(960年1367年)には金元四大家と呼ばれた劉完素張子和李東垣朱丹渓らが現われる。『黄帝内経』の理論を元に六淫理論、四傷理論といった新しい理論が表された。一方南宋では「太平恵民局」という公立の薬局が設けられて医者や官民に良質な薬を提供するシステムが構築され、宋慈が『洗冤集録』という世界初の本格的な法医学書を著しており、こうした成果は南宋を滅ぼした元王朝にも継承された。

また、の時代に医師の李時珍が『本草綱目』を著して薬学本草学の分野でも大きな進歩があった。

近世・近代

現代

中国においては、戦後、国民党政府の伝統医学廃止運動に反発する形で、共産党政権による伝統的医学復興が国策として行なわれ[要出典]、「中医学」としてまとめられた。現在、西洋医学を行なう通常の医師と、伝統学を行なう「中医師」の二つの医師資格が併設されている。 中華人民共和国成立に伴い、中国共産党は、大陸各地に点在していた伝統医療の担い手を「老中医」と呼んで召集し、伝統医学の教育に充てた。ただし、清末以来戦乱に明けた大陸では、体系立った伝統医学などは残っておらず、老中医にしても、ほとんどが家伝の生薬方なり鍼灸方なりを、各個伝えているだけであった。このため、これら個々の伝統技術を統合する理論体系が必要とされ、毛沢東の強い意向を受けて、伝統医学が整理・統一され「中医学」理論が設えられた。つまり、現在の中医学は、中国において統一教科書教育が必要になった1959年を皮切りとし、文化大革命の時期を中心として展開されたもので、これ以前の中国医学を「中国医学」、以降を「中医学」として区別する考え方もある。

1958年の南京中医学院が編纂した教科書『中医学概論』では、五臓六腑ごとに病証が展開されており、病証も『千金方』の五臓病証に類似している。この教科書では「肝虚寒証」のように現在の中医学では用いられない病証が含まれる。また『千金方』には「腎実熱」などまで含まれる。

鍼灸を例にすれば、現在の中医理論は経絡治療と似ていて五臓の母子関係や相剋関係を中心に理論構築を展開する。およそ1960年代より、雑病の一つだった「肝気郁逆」(「肝気鬱滯」)が肝の基本病証の一つとなった。また、「肝鬱気滞」が肝実証である、という認識は中国ではあるけれども、日本での認識は乏しく、「肝実証」という発想は、脈診を中心として診断をおこなう経絡治療家にも理解しやすいものである[8]

   中医学

中医学は、中華人民共和国において、多様な中国伝統医学を整理・統合して作られた医学体系である。診療は、基本的に中医師が行う。ただし、日本においては中医師の資格は使えないため、これを行うのは日本国で有効な医師免許を持つ者、または一部の鍼灸師が行う中医針灸である。中医師の免許は米国などでは認可されているが、日本では現在未認可であるため、中医師免許のみでは診療行為を行うことができない。このため中国は中医師資格の認可を日本政府に働きかけている。

現代中国の中医学は、西洋医学の影響を受け、中医内科、中医外科、中医婦人科、中医小児科などに細かく分類され複雑化している。中国の中医師の資格種類は次のとおりに分けられる。

  • 中医師(生薬処方を中心とする湯液治療を専門とする)
  • 針灸、推拿(中国整体)治療中心の中医師

その他に医師は西洋医があるが、西医学部を卒業後に中医学研修を受け、西洋医学も中医学も理解する「中西医結合」治療を行う医師(中医学部では西洋医学も同様に学習するため、両方の処方が可能である)もいる。この際、診察や処方において「西洋医学の薬にしますか、中薬にしますか」などと聞かれることがある。

日本の漢方医学と同根ではあるが、日本と中国の社会的事情、歴史的経緯、生活習慣、風土などの違いから、漢方医学と中国医学は診察方法などが大きく異なる。例えば以下のようなものである。

 

推拿

按摩
中国語 推拿
漢語拼音 tuī ná
英文表記 Push and grasp[6]

中国大陸では明代以後、医療行為としての按摩は推拿(すいな)と言うようになった。これは日本では中国整体と呼称しているものであり、現在の中国政府も公式な中医学の医療用語として「推拿」を採用している。現在、日本国内の按摩と中国大陸の推拿は、技法は似ているが、用法が全く違うので注意が必要だ。

日本において中国整体という民間療法が行う技法の多くは、推拿の一部の専門手法を用いた推拿式整体療法といえる。しばしば中国整体は日本で言う按摩と誤解されるが、それは按摩が推拿の技法に一番近いことも関連する。現在では、数は少ないが推拿専門の教育機関も存在している。

「推」には手を一方向へ押し進めるという意味があり、「拿」にはその押し進めた手で掴みあげるという意味がある。中国医学では、その理論に基づいて経絡や筋肉・関節などに様々な手技(後述の按摩の基本手技と同一のものも多い)を用いて疾病の予防・治療を行っており、鍼灸と並んで「推拿科」として治療をしている病院も多い。また、中国には法的にも推拿師・保健推拿師・推拿医師という資格がある。


欧米への普及

近年は欧米では、中医学がTraditional Chinese medicine (TCM、伝統中国医学)の名で普及し、補完・代替医療として治療・研究が広く行われている。

    派生・影響

漢方医学

漢方医学(和漢方・和方):日本で発達した中国医学系の伝統医学の呼称である。中国を起源とする伝統医学は、古代から断続的に日本に伝来していたが、大陸で失われた古文献や古い技術も維持されたものがあり、現在では鍼灸・生薬ともに、中国医学とは趣を異にする物に発達している。例えば、中国では腹診は廃れたが、漢方医学においては重視されており、逆に中国で重視される脈診は日本ではあまり重んじられない。薬用量も、中国で使われる量に比べ、生薬を輸入に頼っていた日本の量は3分の1程度である。また重視される文献や理論も異なっている。

日本の中国医学系伝統医学は、江戸時代に蘭方に対して用いられた漢方または漢方医学という名が、一般的に使われている。漢方医学は鍼灸も含む場合もあるが、現在は漢方薬による治療のみをさすことが多い。日本においては鍼灸は医師鍼灸師がおこない、漢方薬は医師・薬剤師がおこなう分業になっている事もその一因と考えられる。日本では中国や韓国と異なり、伝統医の国家資格は存在せず、専門教育もほとんど行われていない。

朝鮮半島

朝鮮半島の医学は、日本にも影響を与えた。「一鍼二灸三薬」と言われるほど鍼灸が重んじられており[9]、現在の韓国は世界唯一の鍼灸専門医制度を持っている[10]

  • 東医:朝鮮半島で発達した中国医学系伝統医学の呼称。北朝鮮では1992年までこのように称していた。
  • 高麗医学:北朝鮮での呼称。1993年に東医から改称した。
  • 韓医学:韓国における呼称。韓方医学とも呼ばれた。

ベトナム

  • 南医学:ベトナム化された中国医学系伝統医学[11]
  • 北医学:ベトナム化されていないそのままの中国医学


漢方医学

漢方医学(かんぽういがく)または漢方は、狭義では漢方薬を投与する医学体系を指す[1]。また漢方は、漢方薬そのものを意味する場合もある。広義では、中国医学を基に日本で発展した伝統医学を指し、指圧なども含む[1]。現在日本の東洋医学業界では、古典医学書に基づく薬物療法を漢方医学、経穴などをで刺激する物理療法を鍼灸医学、両者をまとめて東洋医学と呼んでいる[2]

5・6世紀に、まず朝鮮半島、のちに中国から、日本に中国医学が伝来したといわれる。漢方医学は、に留学した僧医などによって、の医学が導入されてから徐々に独自性を持つようになり(後世派[1]、16世紀室町時代以降に発展し[3]、活発な貿易が行われた安土桃山時代に一般に普及した。(これは、日本では生薬の多くは輸入する必要があり、海上ルートの確立が欠かせなかったためである[4]陰陽五行説の影響の大きい後世派に対し、江戸時代にはこれを批判して実証主義的な古方派が台頭し、のちに2派を統合した折衷派が生まれた[5]。現在の漢方医学にも3派の名残がみられ、特に古方派の影響が大きいといわれる[6]

漢方医学では、伝統的診断法によって、使用する生薬の選別と調合を行う。このように処方された生薬方を漢方薬と称す。漢方薬の一部は1976年(昭和51年)から保険薬として収載されており、現在では漢方薬を使った治療が広く行われている[7]。しかし日本には、中国や韓国のような伝統医の国家資格は存在せず、1883年(明治16年)以降、医師国家試験の課目にも漢方医学は含まれなかった。そのため漢方医学の体系的な知識を持つ医師は少なく、漢方薬が西洋医学的発想で使われるなどの問題も散見される[8]

日本の医学教育では、漢方医学を始めとする伝統医学の教育は100年以上ほとんど行われなわれなかったが、2001年に、医学部の教育内容ガイドラインの到達目標に「和漢薬を概説できる」が加えられたことで、全国の大学で漢方医学の講義が徐々に行われるようになってきている[9]

   呼称

16世紀以降、西洋医学が日本に導入されて南蛮医学、紅毛医学と呼ばれたが、江戸中期には西洋医学をオランダ人がほぼ独占するようになり、蘭方または洋方と称された。これに対して、中国医学系の従来の医学を漢方と呼ぶようになった[8]。幕末から国学漢学を尊皇的に皇漢学といい、明治14年ころから和漢学と称されたが、それに伴い漢方も皇漢医学、和漢医学と呼ばれた。日清戦争以降、西洋と対になる東洋という用語が定着したと考えられており、昭和25年に日本東洋医学会が設立されて、東洋医学という呼び方も一般的になった。現在日本の東洋医学業界では、漢方医学(古典医学書に基づく薬物療法)と鍼灸医学(経穴などを鍼や灸で刺激する物理療法を)を合わせて東洋医学と呼んでいる。

   中国医学との違い

漢方医学は、「」「虚実」などの理論や、「葛根湯」などの方剤(複数の生薬の組み合わせ)を中国医学と共有し、テキストとして中国の古典医学書が用いられる。しかし両者には多くの違いがあり、特徴としては具体的・実用主義的な点が挙げられる。

現在の漢方の主流である古方派[10]では、中国医学の根本理論である陰陽五行論を観念的であると批判し排除したため、漢方には病因病理の理論がなく、(症とも。症状に似た概念)に応じて『傷寒論』など古典に記載された処方を出すのが主流である[6]。証を立てるための診断法としては、脈診を重視し腹診がすたれた中医学とは対照的に、腹診を重んじ脈診はあまり活用されない[8]。また、使われる生薬の種類は中国より少なく、一日分の薬用量は中国に比べて約3分の1である[8][4]。(これに対して、韓医学(朝鮮半島)で使われる生薬量は中程度である。)

漢方医学の処方は、『傷寒雑病論』(現在では、『傷寒論』(しょうかんろん)及び『金匱要略』(きんきようりゃく)と呼ばれる2つのテキストとして残る)を基本とした古い時代のものに、日本独自のマイナーチェンジを加えたものである。「温病」(うんびょう)など、明から清にかけて中国で確立した理論はほとんど漢方医学には受け継がれていない[6]

   概説

理論

気血水理論

気血水説は古医方を唱えた吉益東洞の考えを、長男の吉益南涯が敷衍した理論であると日本では言われているが、『黄帝内経』に同じような記述も見られる節もあり、表現が違うだけで東洞が考えたというのは甚だ疑わしいとする声もある[11]

気血水理論では、

人間の体の中を巡っている仮想的な「生命エネルギー」のようなもの[12]
  • (けつ)
体内を巡り組織に栄養を与える。血液がそれに近い[12]
  • (すい)
血液以外の体液がそれに相当する[12]

の3つの流れをバランスよく滞りない状態にするのが治療目標になる。

陰陽五行理論

陰陽五行論も中国医学の理論化に用いられた。ただし、現在の漢方は、陰陽五行論を観念的として除した古方派[13]が主流であり、診断・処方にはあまり用いられない[6]

表裏と虚実

実は体力の充実している状態、虚は体力の衰えている状態であるが、体のどこが虚しているかが重要である。

  • 表実証 - 悪寒、頭痛、発熱があっても発汗しない
  • 表虚証 - 悪寒、頭痛、肩こりがあり、脈が浮弱で、発汗しやすい
  • 裏実証 - 腹部が充満し、便秘・口渇があり、脈が沈で力がある
  • 裏虚証 - 腹部が力なく、食なく、下痢・嘔吐しやすく、脈が沈で弱い
  • 気滞証(きたいしょう)
「気」の鬱滞が病気を起こすという発想は古くからみられ、後藤艮山によって大いに唱えられた。血も水も気によって動かされるので、気の鬱滞は血、水の鬱滞をもたらす。
俗に「ふる血」と呼ばれる状態で「血」と呼ばれるものが停滞した状態である。
  • 痰飲証(たんいんしょう)
痰は水、すなわち喀痰を含んだ体液全般を指す。狭義には胃内の停水をいう。

診断法

症状を含めたその患者の状態を(しょう)と呼び、証によって治療法を選択する。証を得るためには、四診を行うだけではなく、患者を医師の五感でよく観察することがまず必要である。

西洋医学では、患者の徴候から疾患を特定することを「診断」と呼び、これに基づいて疾患に応じた治療を行う。しかし漢方医学では、治療法を決定すること自体が最終的な証となる。例えば葛根湯が最適な症例は葛根湯証であるという。

証の分類と治療法の選択について、さまざまな理論化がなされた。

四診]

治療法を決定するためには四診(望、聞、問、切)を行う。

  • 望診(ぼうしん)
医師の肉眼による観察。体格、顔色、舌の状態等。特に舌の観察をもとにした診断を舌診(ぜっしん)と呼び重要視される。
  • 聞診(ぶんしん)
医師の聴覚嗅覚による観察。患者の声、の音、排泄物の臭いなどから診断する。
  • 問診(もんしん)
漢方独自の概念はあるものの、基本的には西洋医学と同様に家族歴既往歴現病歴愁訴を問う。西洋医学よりも詳しく、一見無関係な質問も行い、全身状態の把握に努める。
  • 切診(せっしん)
医師の手を直接患者に触れて診察する方法。脈の状態から診断する脈診(みゃくしん)と腹の状態から診断する腹診(ふくしん)が特に重要である。

治療法

排毒

漢方医学における体からの毒素を排出(いわば「瀉」)する際に重視したもの

  • 吐方(とほう) - 吐かせる
  • 汗方(かんぽう) - 汗をかかせる
  • 下方(げほう) - 下痢をさせる

などの施術があげられる。

具体的な治療法

   歴史

中国

日本

古代~中世

日本には遣隋使遣唐使によって、また朝鮮経由で中国から伝えられた。8世紀に日本に戒律を伝えた鑑真は医学にも精通したとされ、756年に崩御した聖武天皇の御物を納めた東大寺正倉院には多くの薬品が納められている。982年には現存する日本最古の医書『医心方』が丹波康頼によって編纂された。13世紀頃には禅宗が医学の担い手となった。14世紀を代表する医師として『頓医抄』の梶原性全や『福田方』の有隣が知られている。

中世後期

日本で現在の漢方医学といわれるものが発展するのは16世紀になってからであった。に留学した田代三喜は金元医学を学んだ。その弟子であり織田信長に重用された曲直瀬道三は金元医学を解説した『啓迪集』を著わし、また医学舎「啓廸院」を創り息子の曲直瀬玄朔をはじめとして多くの弟子を教えた。金元医学を元にした医学はのちに後世派(ごせいは)と呼ばれる。この時代に医学と宗教の分離が行われた。

近世

17世紀には名古屋玄医が『傷寒論』への回帰を訴えた。後藤艮山が玄医の考え方を発展させ、香川修庵山脇東洋吉益東洞らがこれに続いた。この流れは古方派(こほうは)と呼ばれる。後世派が陰陽理論や五行理論といった抽象的な理論に基づくのに対し、古方派は実証的に『傷寒論』を解釈することに務めた。これは杉田玄白蘭学医にも影響を与え、華岡青洲による世界最初の麻酔手術にもつながっていく。しかし古方派の実証主義が結果的には西洋医学流入に伴い漢方医学が衰退する一因となる。

後世派と古方派はしばしば対立したが、後世派の祖である曲直瀬道三も『傷寒論』を軽視していたわけではなく、古方派の後藤艮山は「一気留滞論」を唱え、香川修庵は医学における陰陽五行説を否定するなど、『傷寒論』などの古典を無批判に肯定していた訳ではない。

近代]

明治政府の政策により1874年以降は西洋医学を学び医師免許を取得しなければ医師と名乗ることが出来なくなった。現在でもこの規程は有効であり、純粋の漢方医は日本には存在しない(なお、漢方医の運動により1895年に医師法改正案が出されたものの、わずか28票差で否決されている)。ここに至り遂に漢方は壊滅の危機に瀕したが、医師免許を取得した医師が漢方医学の研究・診療することまでは否認されていなかった。1910年和田啓十郎が『医界之鉄椎』、その弟子の湯本求眞が『皇漢医学』(1928年)を著わし漢方医学の復権を訴え、西洋医学を学んだ医師が漢方も学び実践する形で生き長らえた。

また僧侶の森道伯後世派の流れを汲む一貫堂医学を築き上げたが、森道伯自身は医師免許が無く、矢数格や矢数道明など多くの医師が弟子として一貫堂に入門してきたため、門人たちによって一つの流派を形成するにいたった。なお、矢数道明はのちに大塚敬節と出会い、日本漢方医学会を結成して、ともに昭和漢方の復興を牽引することとなった。

現代]

1950年には日本東洋医学学会が発足した。1976年には漢方方剤のエキス剤が健康保険適用になり、広く用いられるようになった。現在、漢方の担い手の主体は医師というよりは薬剤師や鍼灸師であり、漢方薬局であるが、昨今では漢方医学に関心や理解を示す医師も多くなった。ただし、現代医学と体系を異にする漢方医学を十分に理解して実践している医師は一握りと言われているが、これは当然薬剤師や鍼灸師にも当てはまる事である。

世界における東アジア伝統医学

中国医学を源とする医学は、中国(中医学)、日本(漢方)以外にも、朝鮮半島(古くは東医、現在の韓国では韓医学北朝鮮では高麗医学と呼ばれる[15][16])、ベトナム(南医学)などアジアの広い範囲で行われている[17]。東南アジアの伝統医学も、その多くがアーユルヴェーダと共に中国医学の影響を受けている。

また、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オーストラリアなどでも中国医学系の伝統医学(Traditional Chinese medicine (TCM))は注目され、広く実施されている。オーストラリアは西洋文化圏で最も中医学が発展しており、2012年には全国で中医の登録制度が実施された[18]。アメリカでは50州の内44州で鍼灸が合法化され、カナダやイギリスでも中医診療所は増加傾向にある[19]アメリカ国立衛生研究所(NIH)では、中医学中心に伝統医学の研究が行われ、アジアの生薬療法の研究に大きな予算が割かれている。アジアの伝統医学の研究は2003年の段階で、NIHの中のアメリカ国立補完代替医療センター(NCCAM)と国立がんセンター(NCI

 

を合わせて250億円ほどの規模で行われており、その成果はアメリカに独占されている[20][21]

中国医学系の伝統医学は、代替医療・統合医療の分野で世界的に活用され、グローバル化が進んでおり、標準化が課題となっている。中心地である日中韓の伝統医学は、共有する部分も大きいが理論・用語・処方に様々な違いがあり、政治的な影響もあり足並みはそろっていない。これは、アジアのハーバルメディスン(漢方薬)の標準化を目指すアメリカに対し、アジアの伝統医学にとって大きな不安材料となっている[20]。日本は政府・医学会共に、中国医学の国際化・アメリカ主導の標準化の流れに関心が薄く、中国、韓国、香港、台湾などと異なり伝統医学を扱う政府のセクションは存在しない。国際的にも漢方への理解は低く、外交面で大きく立ち遅れているのが現状である[21]

主流医学との比較と漢方医学の位置づけ

漢方医学のこれらの理論は、近代以降主流医学となった西洋医学から「非還元主義的である」「非科学的である」「あんなものは医学ではない」などと批判されることとなる。

しかし、漢方医学はもともと非還元主義的な、直感主義的な診察を選り好んで採用してきたのではなく、漢方医学が発達を遂げた古代から中世までの時代においては、そうした診察法しか方法論的にありえなかった、という反論がなされている。

また逆に現代の医療が、「還元主義的な医療」を念頭に置くあまり臨床検査データに頼りすぎ、それゆえにかえって見えなくなる領域、治せなくなる病症がある状況を鑑みれば、非還元主義的な漢方医療が現代においては、それに対する欠くべからざる補完的役割を果たしていることが指摘される。

さらに「患者を医師の五感でよく観察すべし」という診察法は、どのような医学を修めた医師にとっても共通の指針であるともいえよう。

漢方医学など現代における標準的な医療と体系が異なる医療を支持する人間は、現代の主流医学(mainstream medicine)を指して「西洋医学」と好んで称する。しかしいわゆる西洋医学と言われる医療体系は、その起源を西欧に置くのは確かであるが、現代においては、中華人民共和国及び中華民国を除くほぼすべての国における医療制度はこれを標準としており、「西洋」という地域的な冠称はすでにそぐわない。また、西洋発祥の医療の中にも、カイロプラクティックホメオパシーなど、主流医学と体系が異なる、非標準的な代替医療(alternative medicine)とされるものもある。欧米では東洋医学は代替医療ないしは補完医療(complementary medicine)のひとつとされており、マッサージサプリメントアーユルヴェーダなどと同列の位置づけである。しかし、日本では歴史的には漢方の方が主流医療であった時代が長く、西洋医学の代替ではなく西洋医学と並ぶ医学体系としてとらえられていた点が、欧米とは事情が異なる。近年は日本・欧米とも漢方の処方や方法論が主流医学にも積極的に取り入れられており、漢方薬と一般薬(西洋薬)が併用されることも多くなっている。中国では、現代医療の方法論を用いる「西洋医」と、中国伝統医学を発展させた「中医」が並立しており、「東洋医学」と「西洋医学」を並立させる考え方に近い医療制度を構築している。


韓医学

韓医学(かんいがく、한의학)とは、朝鮮半島で発達した中国医学系の医術・薬学を意味し、主に韓国で使われる呼び方である。以前は朝鮮語での発音もハングルでの綴りも同じ漢医学(한의학)、漢方医学、韓方医学(かんぽういがく)と呼ばれた。現在では、北朝鮮では高麗医学(고려의학)[1][2]、中国では朝医学(조의학)[3]と称されるが、これらは新しい呼称で、李氏朝鮮では医学・医師は東医と呼ばれていた[4]

朝鮮半島の医学は李氏朝鮮時代に特に発展し、医学書も多く書かれた[5]。また、百済の法蔵(7世紀末 - 8世紀初頭)など、朝鮮半島から渡来した医師が古くから日本で活躍し[6]、『医方類聚』(1445年)、『東医宝鑑』(1661年)などの医学書が日本に渡来するなど、中国医学だけでなく、朝鮮の医学も日本に影響を与えた。鎖国していた江戸時代にも、朝鮮通信使に同道した医師と日本の医師たちが活発に交流しており、その問答の記録が残されている[7]

韓医学はその多くを中国医学に拠っているが、鍼灸学は中国・日本とも相当異なる制度・伝統を持って発展し[8]、動物性生薬を多用する点にも特徴がある[9]。「一鍼二灸三薬」と言われるほど鍼灸が重んじられており[5]、現在の韓国は世界唯一の鍼灸専門医制度を持っている[8]。また、李朝末に李済馬が提唱した体質を4つの型に分ける「四象医学」も日本で知られている[5]。現在の韓国の医療は、現代医学と東洋医学の二本立て体制で、韓医師(Oriental Korean Medical Doctor : OMD)は、現代医学の医師同様大学で6年間の教育を受け、漢方専門医師資格と共に鍼灸の資格を持ち、鍼灸術と生薬を併用して治療を行う[8]

   名称

李氏朝鮮では医学・医師は東医と呼ばれており、日本統治時代に漢方医学、東洋医学・西洋医学の用語が定着した。戦後は、北朝鮮では高麗医学、中国の延辺朝鮮族自治州では朝医学[3]と称された。韓国では1980年代から漢方医学を韓方医学に、さらに1986年から韓医学と改め、東洋医学という呼び名も使われなくなった[4]。一方、西洋医学という俗称は現在も多用されている。[10](正式には「医学」。)最近では、韓医学はTraditional Korean Medicine だけでなく、Oriental Medicine とも英訳されるので、東洋医学を指すこともあるようである[10]

   歴史

概史

朝鮮半島の医学は、中国医学を取り入れて発展した。高麗時代には、特に庶民救済のため、済危宝(ko:제위보)・東西大悲院(ko:대비원)・恵民局(ko:혜민국)が置かれ、現存する朝鮮最古の医学書『郷薬救急方』

향약구급방

ko:향약구급방위키백과, 우리모두의백과사전.

향약구급방(鄕藥救急方)  고려고종(高宗) 연간에 대장도감(大藏都監) 에서간행된한국최고(最古) 의의서(醫書)이다. 초간본은전하지않고  조선태종 17 년의중간본(重刊本) 이남아있다. <방중향약목초(方中鄕藥目草)> 6 장을본문으로하고, 부록으로 <방중향약목초부(方中鄕藥目草部)> 에향약 180 종에대한설명이있어, 고려중기의 본초학  및약용식물등의연구에귀중한문헌이다.

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)(高宗時代 13世紀後半)[11]が編まれた。

李氏朝鮮時代において一般的に韓医学の恩恵に浴する事ができたのは王族・両班と中人階級だけであり[要出典]、一般庶民はもちろん一部の両班(王族も含む)の間でも鬼神信仰にもとづく朝鮮独自の民俗医療が行われていた。李氏朝鮮時代では、太宗の時に医女制度が創始され、世宗の時には『郷薬集成方』と『医方類聚』が編集されたが、燕山君時代に入ると衰退し、中宗時代に入ると医学そのものに取って代わられ韓医学は完全に廃れてしまう。女真族の侵入や日本との軋轢などにより、明薬の輸入が不安定な時代が続くと明医学の持続が困難になり、韓医学が再び復活するが明医学の強い影響を受けている。宣祖の時代になると、許浚によって評価の高い『東医宝鑑』が編纂され、許任の鍼灸法や舎巖道人の新しい鍼灸補瀉法が創始された。19世紀になると、より実証的で科学的な医学が生まれ、李済馬ko:이제마)の『東医寿世保元』(ko:동의수세보원)(1894年)からは、人間の体質を太陽人、太陰人、少陽人、少陰人に分ける四象医学ko:사상의학)が創始された。朝鮮では、許浚・舎巖道人・李済馬が朝鮮時代の三大医学者とされている。

李氏朝鮮後期から末期に入ると韓医学は衰退の一途をたどり、開国後は西洋医学の流入により完全に衰滅し、朝鮮半島において韓医学(特に李氏朝鮮前期)の多くの古医書が逸失している。しかしながら、大韓民国の時代に至り、再び脚光を浴び、多くの韓方医院などが作られ復権している反面、その多くは中医学と区別することが難しいのが実情である。

漢文と日中韓の医学書

中国と日本、朝鮮半島、ベトナムなどの周辺国では、近年まで(日本では大正・昭和初期まで[12])、知的エリート層は高度な漢文の素養を持ち、翻訳を必要とせず漢文の書籍を読むことができ、互いに筆談で会話することも可能であった。このように古典中国語は、ヨーロッパにおけるラテン語、イスラーム圏におけるアラビア語、インド圏におけるサンスクリット語同様、広範囲わたって情報の伝達を可能にし、長期間影響を与えた古典言語であったといえる。韓国の医学は中国医学の影響を受けながら、日本同様に固有の発展を遂げた。日中韓では長い歴史の中で、漢文によって多くの医学書が書かれた。時代・国によって内容には顕著な違いがあるが、相互に医学書が伝えられ、渾然一体となって発展してきた。鍼灸書『神応経』のように、ひとつの書籍が明版→日本→李朝版→和刻版→中国活字版と伝承された例もある。

日本における韓医学の記録は6世紀に遡り[13]、遣唐使の廃止以降も、医学をはじめ多くの大陸の文化が朝鮮半島から日本に伝えられた[14]。10世紀の日本の医学書『医心方』(984年)[15]には、中国医学書だけでなく、『百済新集方』、『新羅法師方』など朝鮮半島の医学書からの引用も数例みられ[16]、書名・内容を知ることができる[16][17]。後世の引用から、高麗時代には『済衆立効方』、『御医撮要方』などの医学書があったことがわかっているが、現存する当時の医学書は『郷薬救急方』が確認されるのみで、李朝再版本が日本の宮内庁書陵部に唯一残されている[7]

李氏朝鮮時代には、獣医などの関連分野を含めて200以上の医学書があったことがわかっており[16]、15世紀以前の医学書を集大成した『医方類聚』全266巻(1445年)、明代までの中国医学を基に症状・処方を解説した『東医宝鑑』全23巻(1661年)などが有名で、日本にも伝来している[5]。朝鮮半島の医学書は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592・1598年)の際に日本に持ち込まれ、印刷技術も伝えられた[18]。1592年に秀吉軍が略奪した書籍は、船数艘・数千巻ともいわれる。朝鮮半島に古い書籍が残されていないのはこのためで、16世紀までの医学書の大部分が失われ、かえって日本に多く伝わったのである[7]。日本では、近代化を目指す明治期になると伝統的な医学書は不要とされ、多くが清に流出したが、その中には朝鮮の医学書・朝鮮で出版された中国の医書も含まれていた。清の宝物は、北京の故宮博物院(紫禁城)が所蔵したが、国共内戦の際に中華民国政府が所蔵品を厳選して持ち出した。そのため、清の学者たちが集めた医学書の大部分は、現在は台北故宮博物院に保存されている[7]

江戸時代には、鎖国体制のため外国の医学書はあまり伝来しなかった。そこで『東医宝鑑』に注目した徳川吉宗はこれを復刻させ、江戸時代初の官版医書として1724年・1730年に発売された。19世紀にはに輸出され、のちには版木が輸出されて清で出版された[7]。また、朝鮮通信使であった医官や同道した医師と日本の医師の間にも交流があり、筆談による医事問答などを集めた記録が残されている[7]

東洋医学の標準化問題

韓医学を含めた東洋医学が広く注目されることで、理論の標準化なども試みられ、政治問題に発展することもある。現代では鍼灸は、世界的に活用されており、世界保健機構(WHO)は、1980年代から始まる伝統医学プログラムの一環として経穴の標準化を試みた。日中韓の研究者は多くの検討と議論を重ね、2006年に経穴部位が国際標準化された。この過程で韓国側が「韓国の鍼術方法が採択された」と発表し中国側が反発したが[19]、標準化作業に関わった中国科学院の専門家によれば、最終的に決定された361カ所の経穴に関して、359カ所は中国の国家基準と一致しているという[20]。東アジアの医学は中国を源としながらも、各地で独自の発展を遂げたため、用語や処方、理論にも様々な相違点があり、標準化・統一化には多くの壁がある。しかし、漢方、鍼灸など東洋医学の標準化・グローバル化の流れの中で、アメリカ国立衛生研究所(NIH)では、大幅な予算を割いて中医学中心に研究が行われ、その成果はアメリカのものになっている。研究の規模は2003年の段階で、NIHに属するアメリカ国立補完代替医療センター(NCCAM)と国立がんセンター(NCI)を合わせて250億円に上るものである。アメリカが作ったアジアのハーバルメディスン(漢方薬)の基準が、グローバルスタンダードとしてアジアにおしつけられる可能性もあり、アジアの国々、特に東洋医学の中心である日中韓が分裂したままでいることは、アジアの伝統医学全体にとって弱みであると指摘されている。[21]

日本における朝鮮医学史研究

日本では中国医学の研究に比べ、朝鮮半島の医学・医学史の研究は非常に手薄であるが、朝鮮医学史研究の大家として三木栄(1903 - 1992)の名が挙げられる。当時、朝鮮半島の文化・科学技術の日本への影響は知られておらず、日本だけでなく朝鮮でも、朝鮮半島の科学・医学史の研究はほとんどなかった。昭和3年から16年間朝鮮半島に暮らした三木は、その解明に一人取り組み、『朝鮮医書誌』(1956年)、『朝鮮医学史及疾病史』(1963年)を刊行した[22]。日韓両国で評価が高く、韓国科学史学会感謝牌賞、日本医史学会功労賞などを受賞している[23]



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