宋慈

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宋慈(そうじ、1186 - 1249)は、中国南宋官僚 字(あざな)は惠文(けいぶん)。現在の福建省建陽の出身。世界初の本格的な法医学 である『洗冤集録』(せんえんしゅうろく)の著者。

南宋の嘉定10年(1217)に科挙に合格して進士となる。その後、司法官僚として活躍する。その頃、官界の腐敗によって賄賂が横行し、それによって事件記録などが捻じ曲げられて無実の人が有罪となったり、殺人事件の遺体が自殺として処理されたりといったケースがしばしば発生した。宋慈は徹底的な現場調査を重視して数多くの事件の真相を明らかにして無実の人達の冤罪を晴らした。宋慈は事件の調査に臨む姿勢として「審らかにしてまた審らかにす、一毫もあえて慢易心を萌(おこ)さず(真実を重ねて追究して明らかにし、ほんの小さな証拠をも軽んじてはいけない)」と述べている。

淳祐7年(1247)、彼はこれまでの経験を生かして、事件における検死の方法とその対処を記した『洗冤集録』を著した。

その二年後に宋慈は死去するが、その功績は当時の皇帝である理宗の耳にも達しており、直ちに勅使を派遣して霊前にて贈官を行ったと言う。

 

関連項目

洗冤集録

 

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